初めまして、
想いをカタチに!伝わる集客ツールデザイナー 中條マキコです。
今の仕事をするに至った経緯をお話しようと思います♪
よかったらお付き合いください。
現在の仕事
3歳からの横浜育ち、横浜在住です。
PC歴22年。
イラスト・webデザインの仕事経験を生かし、教える仕事をしたいかたのための、想いの伝わる集客ツール作り、使いこなしサポート&レッスンを行っています。
アレクサンダー・テクニーク教師認定に必要な1600時間のレッスンを受講、教師認定を受けて学校を卒業しました。アレクサンダー・テクニーク教師でもあります。
漫画とイラストとデザイン
バブルの頃に、桑沢デザイン研究所という専門学校を卒業しました。
実は漫画家になりたくて選んだ美術系の進路でしたが、グラフィックデザイン科で絵は学べない!と気づいたのは入って2年目のこと。
この頃は、デザイナーは間違って踏み込んでしまったところとしか思ってませんでした。
仲間は皆、華々しい広告や、こだわりの建物、パッケージ、本、服をを手がけるようなデザイン事務所への就職を現実のものとするために必死。
そんな中、私は漫画家になりたくて、みんなとは違う、と思ってました。
20代はバイトと漫画の持ち込みに明け暮れていました。まだ紙とペンとカラス口の時代です(笑)
30代であこがれだったMacとプリンタとスキャナーを一式揃えてからは、パソコンでものを作る面白さにのめり込み、気がつくとイラストの他に、webデザインもやるようになっていました。
漫画はデビュー目前まで行ったものの叶わず。派遣でwebデザインと呼ばれるものを始めました。
今思うと、それでちゃんと評価されて派遣され、稼げているにもかかわらず、デザイン半分コーディング半分という仕事だから、自分がパソコンを使えるからなんとかやれてる仕事と思っていました。デザインは苦手、好きじゃない、ちゃんとやってないのに、なんてうしろめたささえ感じていました。
フリーランスから事務職へ
40を過ぎた頃、打ち込んでいた趣味の音楽が面白くてたまらなくなり、もっと音楽をやりたいと、定時で仕事が終われる事務職に転向を決意します。
30代半ばで漫画家をあきらめ、でも絵を描きたくてイラストレーターを目指し、セツモードセミナーにも少し通いました。
しかし実はイラストも理想とするものは描けず、というか自分が何を描きたいかわからなくなってしまっているところに、趣味の音楽の方がどうにも面白くてたまらない。。。もっと音楽をちゃんとやる時間が欲しい。
仕事に対しての夢は特にないし、その時できる仕事をして、好きな音楽をやって、低空飛行で生きていこう、なんて思っての転職決意でした。
事務の経験ゼロながらパソコンスキルを買われて、派遣でなんとか事務職スタート!しかしリーマンショックの影響からの派遣切りに遭遇。
その後、めげることなくアルバイト、正社員、と事務職をつづけますが、前職が知れると、HPづくりや折り込みチラシの作成、リーフレットや作業マニュアルなどを頼まれていました。
出来上がったものを見て「プロの仕事だね」と、感心されることもありましたが、自分は、人より少しパソコンが得意だからカタチにできるだけ、と思っていたのです。
アレクサンダー・テクニークとシータヒーリングとの出会い
そして、40代後半、肩こりに悩まされたのがきっかけで、アレクサンダー・テクニークを知ることになります。
その頃通っていた鍼灸院で「楽器を弾くという身体を痛めることをやめないと肩こりは治らない、楽器をできるだけ弾かないように」と言われ、なんとか治してやる!と色々探した結果見つけたものでした。
ホームページを見て、教師養成コースがあると知った途端、まだどんなものかも知らないのに「これは自分と相手がいれば、言葉が通じなくても、道具がなくても教えられ、一生できる仕事」だと直感しました。
そして、仕事をしながら4年間の教師養成コースへ入学します。
在学中から、なんとかこれを仕事にしたい、と、講座を開催したり、ブログを書いたり、小冊子を作ったり、と、起業準備を始めていました。
ビジネスについても、本やオンラインでさまざま学びました。
パソコンは好きなので、SNSやメルマガ、ステップメールなども次々と試しながら、しかし、なかなか思うように集客できず、焦るばかり。
そうこうするうち、母の介護が始まり、時を同じくしてシータヒーリングにも出会います。
振り返ると、これは、家族との関係を見直すための新しい視点と時間をもらうという貴重な体験でした。
シータヒーリングを深く学びたいと感じ、インストラクター資格を取りに、アテネ、ドバイ、スイスへ。
一度はヒーラーとして仕事をしていく決心を固めますが、ここでもやはり、集客に悩まされます。
思い余って高額コンサルにつき、ビジネスの門下生となりますが、結果を求めすぎる気持ちと焦りで空回りするばかりで、うまくはいきませんでした。
アレクサンダー・テクニークとヒーリングという自分の人生を変えたものと出会い、教えるまでに学びながらも、それをひとの問題解決に役立てられない自分。
どうしたらいいのか、と立ち止まり、自分が持っているものを丁寧に見つめ直すことにしました。
そして、人から必要とされることだけをしよう、と決めたのです。
たくさんの自分が知っている限りのビジネスのワークをし、マインドマップを描き、人生を振り返り、見えてきたもの。
それは、デザインでした。
コンサルについていた時も、プレゼン資料のデザインを見込まれて仕事をもらいました。
ずっと、私と変わらずにあったのはデザインの仕事でした。
アレクサンダー・テクニークを学ぶ人の中にもまた、わたしにチラシやパンフレットのデザイン、HPの手入れなどをずーっと頼んでくださる方がいました。
「チラシデザイン?」
本当にコレだろうか?このネットの時代に?
と、ヒーラーになると決めた時よりも不安で心細く、これでいったい大丈夫なの?となんども疑問に襲われました。
しかし、よく考えてみれば今まで一度も試したことのない道だ、ということに気がつきました。
解決策は既知の中ではなく未知の中にあるというアレクサンダー・テクニークのセオリーを思い出し、そこを選ぶことにしました。
自分が持っているものを使うということ
そうやってチラシ作りだけをやる決心を固めると、何か流れが変わり始めました。
自分の想いを100%表す言葉が見つかり、ホームページを見た知らない方から依頼が入ったり、チラシをすごく喜んでいただけて「もっと多くの人にマキコさんを知ってほしい!」と言われたり。。。
ずっとそうなったらいいなと思っていたことが起こり始めました。
不思議なことにブレずに「自分の真上に立っている」という感じを、身体中で感じ続けるようになりました。
振り返ってみれば、ずっと自分と一緒にあって、いつも私や周りの人の役に立っていたもの、それは、パソコンスキルとデザインだったことに、やっと気がつきました。
デザインは頼まれて作るものと思っていたのか、実は自分の講座のチラシは、作ろうと思ったことさえないのです(笑
しかし、頼まれたチラシはというと、それを使って講座を満員御礼にしてしまう方、今まで告知は気が乗らなかったのに、何か吹っ切れました!と、がぜんやる気を示されて、私もびっくりするくらいの勢いでSNSやブログ、告知を始める方がいらしたり。
今まで興味を持ってもらったことがなかったけれど、手にとって読んでもらえ、紹介につながった!と報告していただいたり。
この名刺を持つと自信が出る、このチラシを見て見て!と配りたくなっちゃう!と言ってもらえたり。
デザインの力を改めて認識させられ、そして思ったのは、デザインは、わたしがどうこうするものではないんだ、ということ。
その人の、心の底から望むもの、それにつながる想いがクリアになることで、それを伝えるべき言葉も、されるべきデザインも、もうすでに決まっている、私はそれを形にするだけなのだと感じたのです。
本当にオススメしたいものをデザインするということの曇りのなさも、初めて味わいました。
webデザインをやっていたころは、自分があまりオススメできないと思うものでも、デザインやイラストの仕事を通してオススメすることになる、ということに、なんだか割り切れなさを感じたこともあったのです。
私以外にも、自分が本当に心からいいと思うものをお金と時間をかけて学びながら、それを世の中に還元することに、つまづきを感じているひとが私の周りにいて、自分がもっているスキルが、そのひとたちをお手伝いできること、を改めて想いました。
それをただ使っていってみよう、と、決めてよかった。
目の前の人の役に立とうと決めてよかった。
やっぱり解決策は未知の中にこそあったのです。
「そのひとが、今すでに持っている学びや知識、資質、それを世界へと還元するためのお手伝いをする」ことを、やっと仕事にできた。
今は自らやってきてくれるお客さまの、デザインの仕事を本当に楽しくやらせていただける幸せを、日々感じています。
全ての人に、自分の学びや資質を、世の中へ還元する権利がある
あなたというギフトを、世界へ〜Gifts to the world〜
デザインスキルだけでなく、学んできたもの全てを使ってサポートいたします♪
あなたの想いをカタチにするお手伝いをさせてください。